マンション建築知識向上“近代建築の三大巨匠”ミース・ファン・デル・ローエ

木須 拓己 木須 拓己

こんにちは、寒い日がだめな木須です。

前回、ル・コルビュジェの世界遺産について書きましたが、続いて“近代建築の三大巨匠”の内の1人、「ミース・ファン・デル・ローエ」の世界遺産含めたお話をしたいと思います。

三大巨匠の中で、一番最初に世界遺産登録されたのがミース・ファン・デル・ローエです。ミースが設計した1つの邸宅が世界遺産として登録されています。

世界遺産登録は邸宅ですが、なんといってもミースの偉業は、
「高層建築の父」として現在のビル建築の基本設計を確立したことでしょう。

そんなお話も織り交ぜながら、ミース・ファン・デル・ローエについて書いていきます。

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目次

  • ミース・ファン・デル・ローエとは
  • 世界遺産トゥーゲントハット邸
  • その他の有名建築
  • まとめ

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・ミース・ファン・デル・ローエとは

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)1886 – 1969

ドイツ生まれ、アメリカで活躍した20世紀を代表する近代建築家の巨匠の1人。
ル・コルビュジェと同年代で、共同でプロジェクトも行っています。1886年 墓石や暖炉を主に扱う石工の夫婦の息子として生まれました。

大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、1906年~1912年まで設計事務所にドラフトマン(製図士)として勤務し、1912年~独立。その後、結婚を経て富裕層の住宅設計から手がけていき、1929年 バルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館『バルセロナ・パヴィリオン』、1930年から『バウハウス』の第3代校長を務めます。
※バウハウスとは、1919年 ドイツに設立された、工芸・写真・デザインなどの美術・建築に関する学校。

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1933年 ナチスによってバウハウスが閉鎖され、アメリカに亡命。
1938年~シカゴのアーマー大学(現イリノイ工科大学)建築学部の主任教授を務める。
1944年 アメリカ市民権を獲得。
1950年 全面ガラス張りの『ファンズワース邸』
1951年 ミシガン湖沿いのツインタワー『レイクショアドライブ・アパートメント』

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レイクショアドライブ・アパートメント
1958年 超高層ビルの傑作と名高い『シーグラム・ビルディング』、1968年 『ベルリン国立美術館・新ギャラリー』

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ベルリン国立美術館・新ギャラリーなど、1969年に亡くなるまでアメリカで高層ビルなど中心に数々の作品を残しています。「God is in the detail」(神は細部に宿る)、「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)という言葉で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家でもあります。

その代表として、ミースが提唱した『ユニヴァーサル・スペース』という考え方は、柱と梁による均質な構造(ラーメン構造)が、内部空間を限定しないで生活の変化や目的の変化によっても自由に使うことができるという概念で、現在の構造(スケルトン)+内装(インフィル)の考え方の大元と言え、使い方次第で内装を自由にリフォームできる建物構造の基本になっています。
また、前述した『バルセロナ・パヴィリオン』の設計時、国王を迎える際に使用される椅子として同時に作られた『バルセロナチェア』はあまりにも有名。
鉄骨・ガラス・大理石で構成された空間内に、ひと際落着きを放つ存在感は、現在でもモダンデザインの傑作として、多くの人々に愛されています。

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バルセロナ・パヴィリオン
※現在は復元されて「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」になっている。

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バルセロナチェア

・世界遺産トゥーゲントハット邸

そんなミース設計の世界遺産の邸宅『トゥーゲントハット邸』とはどんな建物なのでしょうか?

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1930年に完成したチェコスロバキア 第2の都市ブルノに建てられた邸宅。

建物完成後、ユダヤ系だった持主 トゥーゲントハット家は、ナチス・ドイツの迫害を恐れて、スイス→ベネズエラへ移住した後は、二度と戻ってくることはありませんでした。

第二次世界大戦中は、ドイツ人たちが占領していましたが、ドイツの敗北後はロシア人たちが占領。こうした占領期間中に、邸宅はかなり荒らさたようです。

1955年 チェコスロバキアの国有となり、子供たちの再教育センターとして使用。
1963年 歴史的文化財指定を受け、修復も始まります。
1992年には、この邸宅でチェコ側のヴァーツラフ・クラウス氏(当時:市民民主党 副首相)と、スロバキア側のヴラジミール・メチアル氏(当時:人民党・民主スロバキア運動党首)が会談をし、翌年にチェコスロバキアを解体するための調印式を行ったことが有名です。そんな歴史的な背景もあり、2001年12月にユネスコの世界遺産に登録され、現在のチェコの世界遺産の中では11番目の文化遺産となりました。

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80年前に作られたこの邸宅は、壁全体がガラス窓という当時は斬新なものでした。家の外と中の区別がない部屋には、陽の光が存分に注がれます。

前回、コルビュジェをご紹介した際に書きましたが、“近代建築の五原則”の1つ「自由な平面」の概念を発達させた形の空間設計。
ダイニング、書斎、サロンなどが、仕切られることなく、仕切りと家具によって各スペースに部屋としての機能を持たせるといった、目的によって自由に空間を変動できるインテリアとなっています。
電動で開閉する窓や、エアコン装置といった当時では初めての設備が備えられ、最新で快適な暮らしができるように設計されていました。

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調印式が行われたスペース

現在、このトゥーゲントハット邸は一般公開していて、内覧には予約が必要なのですが、かなり前もっての予約が必須です。邸内には展示室もあり、ブルノ市当局が文化行事などを開催しています。
トゥーゲントハット邸が世界遺産になったのは、歴史的な調印式が行われたということが強い理由だと思われますが、そんな歴史的イベントが行われる程の素晴らしい建築だと言えるでしょう。

・その他の有名建築

トゥーゲントハット邸の他に、ミースを語る時に必ず登場する建築を2つご紹介します。

●『ファンズワース邸』

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全面ガラス張りの奇抜な邸宅、『ファンズワース邸』。その奇抜さにより、いわく付きの建築としても有名。
依頼主は、女医であるファーンズワースで別荘を目的として建てられました。

当時、鉄骨建築の発達により自由に壁を取り払うことができたため、ミースはその壁面をすべてガラス張りという構想を進めた結果、このような革新的な建物が完成しました。しかし、当初の建築費よりかなり予算オーバーしてしまいました。

これを見たファーンズワースは、丸見えのこの別荘に腹を立てたのか、建築費が高すぎたためか、訴訟を起こしましたが、結果はミースの勝利。これを機に(?)さらにミースは有名になっていくのです。

●『シーグラム・ビルディング』

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ニューヨークはマンハッタンにブロンズ色に輝く、ひときわシンプルな39階建てのビル。

カーテンウォールという手法を用いた建物で、これにより現在の高層建築の基本構造を確立しました。
(カーテンウォールとは、建築構造上取り外し可能な壁であり、建物の自重と荷重をすべて柱、梁、床、屋根等で支え、建物の荷重を直接負担しない壁を言います。それをガラスで構成したということです。)

その研ぎすまされ、徹底的に無駄を排除されたミニマルな形状は、周囲に建つ高層ビルのお手本となっています。

“近代建築の三大巨匠”の中で、高層建築を設計し実現しているのはミースだけ。

実は、このビルの開発当初の設計者候補には、三大巨匠3名の名前が挙がっていました。しかし、依頼者の娘でだった開発責任者は、
「コルビュジェは芸術的過ぎる」「ライトは古い」という理由でミースに決定したそうです。

こんな経歴もミースが設計すべきして、この傑作が生まれたのでしょう。

・まとめ

いかがだったでしょうか?現在の高層ビルの基本は、ミースから始まったと考えると、色々な商業ビルや高層マンションが感慨深く見えてきます。(私だけでしょうか?笑)
個人的にはとくにファンズワース邸は、いつか一度見に行きたいものです!それでは次回でラスト、「フランク・ロイド・ライト」と世界遺産をご紹介します。

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木須 拓己

木須 拓己

あなぶきハウジングサービス :木須 拓巳(きす たくみ)
分譲マンション管理会社で専有部(お部屋内)の様々なサービス開発・企画の立案、リフォーム&リノベーション・室内クリーニング、インテリア商品販売等、お客様の快適な生活をサポートする部署の担当。分譲マンションの管理会社を15年務めた実体験及び情報をわかりやすく伝えるために日々仕事に励んでいます。仕事での心情:ニーズを形にする
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